行動の動機を「罪悪感」にしては、幸せになれない
- 誰かに悪いから、やる
- 人に迷惑をかけたくないから、やる
- 世間様に顔向けできないから、やる
「やる」のところを「やらない」にしても、同じ。
後輩の話を聞いていると、こんな思考をしていることが分かった。つまりは「罪悪感」だ。
後輩に限らず、罪悪感で行動を決めら人は多いと思う。だけど、それでは充足感は得られないし、幸せになれないと思うのだ。
- みんな遅くまで残っているから、私も残らないと悪い
- 忙しい先輩に頼めないから、全部自分でやる
- 仕事していないと社会人だと認められない
これ全部、外に動機を求めている。外からの評価を気にしている、と言ってもいい。
それはそれで大事かもしれないが、実はそんなに人は後輩に求めちゃいないと思うぞ。外から、と書いたけど、本当は「後輩の中にある外側の人たち」になっているのだ。
「じゃあ、どうするの?」というハナシだか、もっと自分の中の動機を見つけて欲しい。「こうなりたい」「こうやりたい」とか。
それは「人に認められたい」という動機かもしれないけど、だとしたら尚更のこと罪悪感を行動の源にしてはいけない。君の罪悪感なんて、他人は知ったこっちゃないのよ。
人に認められたいならば、「人に悪いから」ではなくて「人を幸せにしたい」と考えを変えよう。具体的にいえば、「人の笑顔を作る」「人に時間を与える」「美味しいモノを食べてもらう」とか。
それが君の幸せになるのだと、私は思うのだよ。